席を譲る

TBNを見ておりますと、こんな記事が。


席を譲らなかった若者


まぁ色々と考え方はあるんだろうけど、オレはグラサンの若者が言ってる事が
正論だと思う(年金の部分除く)。電車で席を譲る動機というのは敬老精神でも何でもなくて、
「自分よりも立っているのが苦痛である人を労わるため」だと思う。
だって敬老精神だけなら妊婦とかびっこひいてる人とかに席譲る必要ないし。


一般論として若者は元気で、年寄りは体が弱い。だもんで、元気な若者が席を譲る。
これは正しい構図でしょう。前に日記にも書いたけど、オレは
困っている人がいたら助けてあげられる社会って素敵だなと思うから。


だけれども。少なくともオレの感性からすると、この老人は疲れていませんわな。
いや疲れてるのかも知れんけど、勝手に遊びで山に行って疲れてるだけの話だ。
遊んできたヤツに仕事行くために少しでも力を充電してるヤツがなんで席を
譲らにゃならんのだ。


それ以前に、さっき書いた一般論の「若者は元気で、年寄りは体が弱い」すら
この場面では当てはまってないんじゃないか?実際、山登りって昔やってたけど
ものすごい体力使うわけです。今のオレの鈍った体じゃ、正直かなりきついはず。
だけどこの老人はそんな山登りを出来る体力を持っておるわけです。
どう考えても体は弱くないだろ。そんな山登りする体力があるヤツが、電車で
立ってることくらい苦痛であるはずがない。少なくともその苦痛の度合いは、
普通の若者たちと同程度だろう。


繰り返しますがオレは、席を譲るのは敬老精神の発露ではないと考えます。
あくまで、自分より立っているのがつらい人への思いやりです。
だからこんな元気なジジイたちに席を譲る道理はない。いわんや自分が土曜出勤で
仕事に行くためだとしたらなおさら。


プラス、感情論としてこういう「譲ってもらって当たり前」的なジジイには
例えそいつが死にそうなよぼよぼだとしても絶対譲りたくない。
こんなクソジジイに対してオレは「思いやり」なんて持てないですから。
譲る方は相手を思いやり、譲られた方がその思いやりに対して感謝の念を持つ。
こんな当たり前のこともわからんクソジジイどもになんで席を譲らにゃならんのだ。
老人に席を譲るのは道徳です。道徳を、享受する側が行使する側に強要する
なんて話になりませんです。


さっき「年金の部分は除く」って書いたけど、年金の話はこの話とは全く
別問題です。別に相手がよぼよぼの年寄りなら、年金とか関係なく席譲るだろうし。
あくまでこの場面でオレがグラサンに同意したのは
・ジジイが元気
・ジジイがムカつく
という理由から、席を譲る必要がないと判断したからです。





あと席を譲ることについてもう少し。


オレはよく足を怪我していたので、幾度と無く松葉杖を経験しています。
オレくらい松葉杖経験があるヤツもあんまりいないんじゃないかな。
そんなオレが、数多ある松葉杖経験から思ったこと。


松葉杖の人間には席譲る必要ないよ。


松葉杖経験がある人ならわかるかも知れませんが、松葉杖で立っているのって
実はものすごく楽なんです。だって松葉杖によっかかってりゃいいんだから。
ギブスじゃない方の足と松葉杖の三点で体を支えてりゃいい。すごく楽。
そんな楽してる人間にわざわざ席を譲る必要なんてありません。


そりゃま、歩くのはしんどいですけどね。でも立っているのは楽。


そんな感じで。席を譲るのはあくまで道徳です。強要されるべきものでは
ありません。譲られる方が強要するなんて論外。それをわかれクソジジイども。